ちょうさん

Marsyas2004-03-22

ドリフターズいかりや長介が死んだ。

つい先日までは別の「ちょうさん」が倒れて大騒ぎしていたが、そのちょうさんは順調に回復しているようで、こっちのちょうさんは帰らぬ人となった。もっとも昨年あたりから、入退院を繰り返していたようだが。

私が小学生の頃、ドリフの全員集合は全盛期。下品な冗談や食べ物を粗末にするコントで、多方面から低俗番組のレッテルを貼られていたが、それでもというか、それであるがゆえに、多くの子供たちは毎週土曜夜に、いかりやの「おぃーっす!」の掛け声に応じていた。いつしか世の関心は、ビートたけし明石屋さんまに移っていったが、ドリフがお笑いの一時代を築いたのは間違いない。そして、その中心にいかりや長介がいたことを、この死をもってあらためて強く認識させられた。

数年前、いかりや長介キリンビールのCMでアップライトベースを弾いていたが、これが惚れ惚れするほど実にキマッていた。もともとドリフターズの母体はバンドであり、ビートルズの来日公演の前座をつとめたこともある。なかでもいかりやのベース奏法は高く評価されている。ただのコミックミュージシャンではなかったのだ。

役者としても実にいい味を出していた。「踊る大捜査線」での活躍も記憶に新しく、他に換え難いキャラクターなだけに、その死は実に残念である。

しかし72歳というのは微妙な年齢である。日本男性の平均寿命からは若干早い死だが、特別に若い年齢でもない。あの高木ブーもすでに70を過ぎているらしい。

全員集合をやっていた時、いかりや長介はすでに50歳を過ぎていたわけだ。彼の役者・芸人としての魅力はそこから磨きがかかったように思う。当時のいかりやは、ただのウルサイ親父にしか見えなかったが、その後は実に美しく齢を重ねている。

織田信長は人生50年と言った。欧米社会では40代後半のオジサンは、ハッピーリタイアメントのことで頭が一杯だ。が、古典芸能の世界においては50台なんてまだまだ新人。人間の才能は本当にどこで開花するか分からない。人生短いようだが長い、そう思った。